第5回メッセージコンクール(2007年の作品)

★小学校高学年の読書メッセージ!★
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教育ルネッサンス理事長賞
「私の色」
『トモ、僕は元気です。』の本の帯に、読み終えたあと、きっと人にやさしくなれるそんな物語、とありました。このやさしくなれると言う言葉にドキッとして、離れなくなりました。
そして、やはり本の中には心が暗くなり、考えさせられる場面がありました。それは、主人公、和樹君のお兄ちゃん、トモがいじめられる場面です。
トモは障害児で、小学校の時からイジメられているのです。しかし、私が思わず考えてしまったことは、イジメられているということではなく、和樹がそのイジメの現場を見てしまい、どうしようもなくなってしまい、そこからにげだしてしまったことです。
私は、もしこれが私だったら……きっと和樹といっしょでにげてしまうだろうな。息がつまって、そして、自分が情けなくなりました。私も悩んでいることがあるからです。
読んでいくと、そんな私を変えるヒントの言葉がありました。その言葉は、『毒は、弱いところへと流れていく。毒ををたれ流すのも、弱いものなのに』というものです。
そして、和樹は、こんなことを思い始めていました。ぼくが、切りきざみたかったのは、ソファーカバーじゃない。ゆるせなかたのは、イジメた人たちからにげた自分だった。トモなんかいなきゃいいのにと、思ったぼくがいやでたまらない、ということです。
わたしもそうだよなぁ、みんなが弱いんだよな、私もいっしょでいいんだよなぁ、と泣きそうになりながら思っていました。そして、私の今までってどんなに情けなかったのだろうと思いました。私はこの本と出会うまで、心のことをあまり深く考えないで生活していました。和樹は、自分の気持ちからにげないでよく考えて、だからこそ悩んでいたと思います。私は、そのことにはっとし、今までの自分を反省しました。
私の心を色に例えると、自分の色は白にはもう、もどれないけど、うすまった少し新しい色で明日をえがけばいいんだよなぁと思うようになれました。私は、この本のおかげで、毎日自分の色をえがきながら、がんばればいいんだと思うようになり、少しほっとした気持ちです。
最後に、私はこの本を読み、和樹と共に成長したいと思います。世の中にはたくさんの人がいる。みんな、それぞれ個性(色)は違うけれど、やっぱりみんな私と同じで弱い気持ちがあると思います。だれ一人として違う人はいないと思います。そして、一人一人の大切さは同じなのだから、自分の色で、自分生命をかがやかせ、明日をえがけばよいのだと思います。そこには、きっと自分によく似た色を持つ人もいるでしょう。そう、みんな色は違うけど決して一人ではないのです。
私は、自分の色を大切にして生きていきたいです。トモに負けないように…。
鷲宮町立東鷲宮小学校6年 有山唯菜
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埼玉県公立小学校校長会賞
平和の種をまくために
ボスニア・ヘルツェゴビナという国は、イタリアの近くにあることを知りました。私は、この本を読むまでは、そのような国があることすら知りませんでした。ボスニアの周りには、小さい国がたくさん集まり、昔は、ボスニアのほかに、スロベニア、クロアチア、セルビア、アケドニア、モンテネグロの六つの国が一つだったそうです。しかし、民族間で戦争が起こりました。三年半にわたった戦争は終りますが、ボスニア・ヘルツェゴビナは、一つの国の中に二つ国ができてしまったそうです。
エミナが生まれたのは、戦争中のことでした。「戦争中に赤ちゃんを育てることは、どんなに大変だったのだろう。ミルクやおむつはどうしたんだろう。エミナが泣いたときに、お母さんは困らなかったのかな。」と私は、本を読み進めながら思いました。お母さんは、
戦争中でもエミナのためならどんなことでもがんばり育てました。ただ、お母さんは、「エミナが生まれたときは、まるで暗やみに光がさしたようだった。」と大きな希望を持ったにちがいありません。
戦争が終っても、家はほうげきでこわされていて、中のものがすべて盗まれ、エミナたちは家に帰れませんでした。もどってこられたのは、戦争が終わって、六年間もたってからでした。その間、つらくてとても悲しい気持ちだったと思います。私は戦争はほんとにこわいものだと思いました。
コミュニティーガーデンは、ある団体の支えんで、家のない人たちに与えられる農園です。ここでは、戦争で戦っていた民族同士が、仲良く農作物を作ってくらしていました。ボスニアクのセイダおばさんは、夫が行方不明のままだし、セルビア人のドリブラおばさんは、負傷した息子を生かすために必死だったそうです。そして、毎日農園にかかさず通うのは、「農作物をつくるだけでなく、それを分かち合う仲間がいるからだ。」という言葉に大変私は感動しました。同じ農作物を共に育てることのすばらしさが、戦争を終わらすことになるのではないかと思ったからです。そして、エミナも、セルビア人の一つ年下のナダと一番の仲良しになりました。
この農園では、民族という区別よりも一人一人のつながりがあって、おたがいのことをよく知ることで、ほとんど問題にならないそうです。民族間での戦争はどうして起こるのかな。この農園のように、みんなが助け合って、喜びをわけ合い、仲良くいっしょに生活していることろでは、絶対に戦争なんて起こらないと思います。
エミナが「ナダと平和の種をまきたい」という言葉が、印象的でした。平和とは、人と人が共に思いやりの心を育てていくことではないかと思いました。思いやりをもてば、戦争や戦いごとも起こらないことでしょう。私も今いるこの教室から、平和の種をまく努力をしていきたいと思います。
羽生市立新郷第二小学校5年 岩田和愛
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   埼玉県教育公務員弘済会賞
 

「ブランコのむこうで」


「ブランコのむこうで」という題にひかれて、手にとってみた。ページを開くと『ぼく』の夢を旅する不思議な物語がわたしを待っていた。


 主人公の『ぼく』は最初に自分のお父さんの夢の中に迷い込んで、お父さんがいつもは言わない気持ちに気づく。わたしのお父さんやお母さんの夢の世界はどういうところなのだろう?もしかしたら、あまりわたしと遊ぶ機会が少ないお父さんも夢の中では、いいしょにバスケットの練習をしているのだろうか。何でもやってくれるお母さんも、本当はあまえたいのかもしれない。失敗も多いのかもしれない。そんな現実とはちがう場所を『ぼく』が初めて見た場面では、どんどん色々な想像がわたしの頭の中にうかんできて、何度も読み返してしまうほど、物語に引き込まれていった。


いちばん心に残った場面は、色々な人の夢を旅しているうちに『ぼく』が夢の主人公の現実を知って、その人のためになるように行動してあげるところだ。むすこを亡くした女性の夢の中では、自分がむすこのふりをして喜ばせてあげた。生まれたばかりの赤ちゃんの夢の世界でも、勇気を出しておそろしいワニと戦ったりしたのには強く心をうたれた。主人公は夢の旅の中で人の心の奥のかなしみ・つらい思い、人それぞれの人生に対しての思いを見てきて、彫刻を何十年も続けているおじいさんの長い長い話と出会った。おじいさんは、長い人生の中で後かいなどもしながら生きてきた。人間にはいろんな苦しいことがあるけど、それは、人として生きていくために必要なことだとわたしは思う。


 わたしは、毎日がとても楽しくていやなことは少ないけど、これからは、楽しいこともいやなことも増えると思う。でも、「ブランコのむこう」というのは、夢はいつも現実とすぐとなり合わせにあるということ。だから、人は、現実と夢を通して、他人との関係がうまくやっていけるのだと思う。


 現実でいやなことがあったとしても、たくさんの楽しい夢を見て、現実でも、明るく楽しく過ごせたらいいな。


加須市立礼羽小学校6年 増田千晶


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    教育ルネッサンス賞
「自分らしい人生」
国語の授業で「ぼくの世界、きみの世界」という勉強をしていた時、教科書に『自分らしく生きてみないか』という本がのっていました。わたしは、「じぶんらしい人生とは、どういう人生だろう?」と思って、気になっていました。だからこの本を読みました。
この本を大きく分けて五つ、勉強とどうつき合うのか、友達とどうつき合うか、巣立つ生徒に送ることばです。わたしはその中の、「勉強」と「友達」のことを取り上げてみました。
最初は、勉強とどうつき合うかです。勉強が、好きになれない理由とは…?わたしは、勉強と聞けば、授業やテスト、宿題を思い浮かべます。こんなことを思い浮かべると、やだなぁーとか、ためいきをついてしまいます。作者は、「人はだれだって、やらされたり命令されたりすることがきらいで、やりたいことや好きなこと、興味があることは、夢中になってやります。」と言っていました。わたしもそう思うし、進んでやったほうが、気持ちがいいと思います。先生も、そういうことを言っていました。そのほかにのっていたのは、学校の勉強は本物か?というのです。たとえば、中学から大学までに学んだ英語でも、外国の人とは満足に話せないということです。だから自分流の勉強を見つけて、それを続けていれば、大人になって、ひと味ちがった人になれると言っていました。わたしも、そう思うし、自分流の勉強を見つけていきたいと思いました。そして作者は、二つのことを提案しました。一つは「評価を気にしないこと」もう一つは「心を開く」ということです。この二つを守れば、きっといい大人になれると思いました。
次は、友達とどうつき合うかです。仲間はずれにあったら、どうすればいいの?でもそれは、成長のチャンスかも。ということです。仲間はずれとは、みんなでだれかをいじめることです。でも作者は「いじめっ子は、かわいそうな子なのです。きっと皆に囲まれて、チヤホヤされたいし、さみしがりで、家庭もくつろげないのでしょう。でも最後には、一人になってしまうでしょう。だから、そうならないように、早く気づいてほしいのです。」と言っていました。わたしもそうだと思います。それに、悪いことをしたら、悪いことが帰ってくると思います。人はだれだって、自分を見てほしい、わかってほしいと思っていますが、相手もそれは、同じです。だからわかってあげる側になりたいと思いました。作者も、こうしていくことが本当の「自立」であって、自分らしく輝いて人生を送る第一歩であると書いてました。
自分らしい人生とは、決して自分勝手に行動することではなくて、勉強であれば、心を開いて、評価をあまり気にしないで、生き生きと、学校にふり回されず、ほかには、自分を育ててくれた人を大切にして、自分に自信を持つことだと思います。仲間はずれに合ったら、一人で好きなことができる、勉強や読書に集中できると考えればいいのです。将来社会に出れば、一人になるのだから、そういうことを考えて、行動すればいいのです。
秩父市立吉田小学校6年 新井美咲

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教育ルネッサンス賞
「佐賀のがばいばあちゃん」
「佐賀のがばいばあちゃん」。この題名の「がばい」と言う言葉は「すごい」と言う意味の方言です。何がすごいかと言うと、ばあちゃんはものすごく貧ぼうなのに、厳しい戦後をたった一人で七人もの子供をかかえて生きぬき、「うちは、明るい貧ぼう」と言いながら強くたくましく生きているところです。
そして、主人公の昭弘は、小学二年生の時、お母さんの仕事の都合でとつ然、佐賀のばあちゃんの家に預けられ、ばあちゃんとの「明るい貧ぼう」と言う言葉を見て不思議に思いました。なぜなら、貧ぼうと言えば、お金がなくてつらいものとしか考えていなかったからです。でも、二人の生活を読んでいくうちに、そのわけが分かってきました。
ご飯のおかずも買えない程貧しい暮らしの中で、ばあちゃんはいろいろな工夫をしていたのです。例えば、川の水面すれすれに一本の棒を渡し、その棒に木切れや何かが引っかかるようにしておきます。市場で売り物にならない野菜やだれかが落としたゲタ等、流れてきた物が棒に引っかかり、ばあちゃんはそれらを拾って生活に役立てていました。
「わざわざ配達までしてくれると。」
「かん定せんでもよか。」
と、ばあちゃんは川をのぞきこんでは笑っていました。どこまでも明るく前向きな人だと思いました。物が豊富で何一つ不自由のない生活をしている今の時代では想像もつかない話です。川から流れて来たものなんてきたなくて食べられないと思いますが、それだけ昔の川はきれいだったんだなと思いました。考えてみれば、ばあちゃんは五十年も前から川をきれいにし環境問題に取り組んでいたのです。
そんなばあちゃんでも、周りの人々にたくさん支えられて生きてきました。例えば、豆ふ屋のおじいさんがくれた豆ふを半額の五円で売ってくれます。ある日、昭弘が買いにいくと、その日を丁度くずれた豆ふがなくて、困った昭弘はばあちゃんにそのことを伝えに行こうとしました。すると、おじさんがわざわざ豆ふをくずしてくれて、
「くずれたの、あるよ。」
と言って売ってくれました。他には昭弘が目をけがした時に、医者は治りょう費を取らず、帰りのバス代まで渡してくれたそうです。
ばあちゃんの人がらが良かったからこそ、周りの人は助けてくれたのだと思います。私は人との関わりの大切さを学びました。そして、人情の厚さにすごく感動しました。
ばあちゃんが言った、「人に気づかれないのが本当の優しさ、本当の親切。」これは、私の心に深くきざまれたすばらしい言葉です。私はこの本に出会って、ここには書ききれない程多くの事を知りました。私はこれからもずっと、このがばいばあちゃんを見習って、強く、いつも明るく生きていこうと思っています。
川越市立川越第一小6年 岡本美希
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第5回メッセージコンクール(2007年の作品)

★小学校中学年の読書メッセージ!★


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     埼玉新聞社賞

「ぼくにもその愛を下さい」


むかしむかし、ティらのサウルスという、らんぼうなきょうりゅうがいました。
「この世の中は、力がある者が勝ち。力の強い者が一番。力こそが大事、強いことが大切なんだ。ヒヒヒヒ…。」
とじんじて、他のきょうりゅうだちを食べて、ふるえあがらせていました。ぼくのまわりの人間たちの世界でも、同じような事がありそうな気がして、ハッとしてしまいました。ぼくも学校で、強い子にいじわるをされたり、反対に友だちにイヤな事をつい言ってしまったりして、仲良くできないことがあるからです。そんな時、ぼくは暗い気持ちになるけれど、ティラノサウルスの本当の心の中はどうなのだろう、と知りたくなりました。
そのティラノサウルスも、年をとって弱くなり、こわがる者はいなくなってしまいました。ガブリとしっぽをかみつかれ、ケガをしたティラノサウルスは、旅に出ました。ところが、目の前においしそうなトリケラトプスの子が来た時、食べようとしても、しっぽがいたくて起き上がれません。本物のティラノサウルスを見たことがない子は、こわがりもせず、仲間の子どもたちを集めました。そして、みんなでしっぽをさすりやさしくなめて、早くなおせる薬の実をとろうと、その木に角がいたむくらい体当たりしました。ティラノサウルスの目から、なみだがポロポロとこぼれました。今までのティラノサウルスだったら、きっとまよわずすぐに、子どもたちを食べてしまったと思います。それができなかったのは、子どもたちのす直でやさしい心をうれしいと感じたり、かわいいと思えたからだと思います。ティラノサウルスは、他のきょうりゅうたちから、ずっとこわがられるだけで、やさしさを受けることがなかったから、自分の方からもやさしさをあげることを知らないまま生きてきてしまった、本当はかわいそうなきょうりゅうだったのかもしれません。
その時、二ひきのギガノトサウスルが、子どもたちをねらって近づいて来ました。ティラノサウルスは、たたかわずにじーっと体を丸くして、子どもたちをしっかりとだきかかえ、かまれたいたみをこらえて守りぬきました。そして子どもたちに向かって、
「おれは、やっとわかったんだ。おぼえていてほしい。大切なのは力が強いことじゃないんだ。一番大切なことは…。」
と言いかけて、死んでしまいました。その言葉のつづきは“あい”だと、トリケラトプスの子どもは知りました。そして、大人になってわが子たちにつたえていきました。
ぼくにもできる“あい”があるような気がしました。やさしい言葉・え顔・思いやり・はげまし…。色いろな形の“あい”があって、だれでもきっと、相手におくることができるのではないかと思えるようになりました。ティラノサウルス、ぼくにもあいをありがとう。
さいたま市立仲町小学校3年 大山照央


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    さいたま市教育長賞


「せんそう」


「せんそうってすごくこわい。」
と思いました。ばくだんが空からふってきて家がもえたり、食べ物がなくなったり、家ぞくが死んでしまったり、かなしい事ばかりです。なのに、なんでせんそうなんてするのだろうと思います。母が、
「せんそうは、国と国のけんかのようなものだよ。」
と教えてくれました。けんかで人をころすなんて、すごくこわい事だと思います。
わたしは、家ぞくが死んでしまって、とし子が、一人ぼっちになってしまい、かわいそうだと思いました。わたしだったら、死ぬのも一人ぼっちになるのもいやです。一人ぼっちになったらどうしていいかわりました。

せんそう中に、お兄ちゃんのお古の下着を自分でししゅうして学校にいったら、
「このひじょう時に、花なんかししゅうしたらいけません。すぐほどきなさい。」
と言われて、かわいそうでした。わたしは、なんでししゅうをしたらいけないのかと思いました。わたしは、お古の下着をかわいくししゅうして、着るなんて、とてもいい考えだと思ってしまいました。そうしたら母が、
「せんそう中は、自分の事ばかり考えて、オシャレなんかできなかったんだよ。」
と教えてくれました。わたしは、
「そうなんだ。せんそうの時に生まれた人は、オシャレができなくてかわいそうだなぁ。」
と思いました。

わたしが、一番かなしかったのは、とし子の家ぞくが死んでしまったことです。お父さんと東京のやけ野原になった自分の家を見にいき、とけたガラスのうさぎを見つけました。ガラスをうさぎがとけてしまうほど火のいきおいが強かったんだなと思います。そのガラスのうさぎは、せんそう前に、ガラスしょく人だったお父さんが、とし子のために作ってくれた、たから物です。そんなやさしいお父さんが、とし子の目の前で、死んでしまって、本当にかわいそうでした。

それから日本がせんそうにまけて、へいたいに行っていたお兄さんが帰ってきてくれて、とし子は、一人ぼっちじゃありませんでした。わたしは、とてもうれしかったです。

日本に新しいけんぽうができました。その中の一つに、日本の国が二度とせんそうをしてはいけないという事が決められていました。もっとはやくこの決まりがあったら、とし子の家ぞくや多くの人たちが死ななくてすんだのだと思いました。さいごにとし子は、
「日本のけんぽうはね、せんそうでなくなった大ぜいのいのちでできているの。」
と言っていました。わたしは、この言葉が、とても大事だと思いました。だから、二度とせんそうはおこさないように、この決まりをまもっていきたいです。


さいたま市立谷田小学校3年 佐藤亜美


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    埼玉県教育公務員弘済会賞


「大切な命」


わたしは、「いのちのあさがお」という本を読むまで、白血病という病気のことは、全く知りませんでした。もちろん、子どもが、病気で死んでしまうなんで考えたことがありませんでした。

光祐君は、六才の時に白血病とわかり、こうがんざいの治りょうを続けました。高い熱が出たり、水を飲んだだけでもはいてしまうなんて信じられませんでした。ほしがっていても、はいてしまうので、がまんさせるようにと、先生に言われたけど、どんなにつらかっただろう、となみだが出そうなくらい悲しくなりました。

ようだいがあっ化し、
「ボク、死んじゃうのかな。」
死への不安を感じたなんて、すごくかわいそうだと思いました。つらい治りょうにもたえていましたが、七才という短さで、光祐君の命が消えてしまいました。

小学校へは、わずか三ヶ月しか通えませんでした。その間にうえたあさがおがたくさんのたねをつけていました。なくなった後、気づきました。小さなたねの中に、光祐君の命が静かにいきづいているように、お母さんには見えたそうです。親は、本当に子どものことが大事なんだと感じました。

光祐君の育てたあさがおは、『いのちのあさがお』として、命のとうとさや、こつずいバンクのことについて、一人でも、多くの人に知ってもらうために配られています。

“ひとりはみんなのために、みんなは一人のために”これは、光祐君のお母さんが、一番好きな言葉だそうです。わたしのたんにんの先生もよく言う言葉です。光祐君の死をむだにしたくないという、おかあさんの思いが、こもっています。この言葉のおもみを感じるようになりました。これからも、困っている友だちがいたりしたら、声をかけてあげたりしていきたいです。

光祐君は、もっともっと生きたかったと思います。この本を読んで、元気いっぱい遊んだり、学校へ行って勉強できることを、幸せに感じました。

今のわたしにできることは、自分の命を大切にして、せいいっぱいに生きることだと思いました。


秩父市立吉田小学校4年 石間戸香里

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     教育ルネッサンス賞

「山古志村のマリと三びきの子犬」


わたしは、犬にかまれたことがあり、犬がきらいになりました。犬がいると、よけたりはなれたりしました。でも、この本を読んで犬はすばらしい動物なんだということを知りました。
マリのかい主は、山古志村役場につとめるゆたかさんでおじいさんと二人ぐらしです。すくすく育ったマリは、幸せにくらしていました。
二〇〇四年十月二三日にマリは、三びきの赤ちゃんをうみました。マリは、とても幸せだったと思
います。けれど、その日の夕方に大きな地しんが起こりました。マリは、何が起きたのかわからなく三びきの子犬たちは、飛ばされてしまいました。でも、マリは一気に三びきのところへかけより安全そうな場所に運んであげました。そしてマリは、おじいさんがいるくずれかけた家の中に飛びこんで行きました。家の二階にいたおじいさんは、タンスの下じきになってしまいあきらめかけていました。その時、マリがさがしに来たのです。おじいさんのほほをなめて元気づけると子どもたちのところにもどります。それを何度もくり返しますそんなマリを見ているうちにわたしは、なみだが出てきました。おじいさんは、マリのすがたを見て「生きるぞ」という気持ちにスイッチが入ったのです。マリは、おじいさんをすくったのです。わたしは、とてもうれしかったです。
マリのかい主のゆたかさんは、小千谷市にいました。地しんがあり、すぐに家に帰ろうとしましたが道路はずたずたになって通れません。ゆたかさんは、マリやおじいさん、子犬たちが心配でたまらなかったと思います。
十月二十五日、ヘリコプターでひなんすることになりました。おじいさんは、マリを連れていけるようにお願いをしました。でも、マリたちは地しんのあとの村にとり残されてしまいました。おじいさんは、くやしい気持ちでいっぱいだったと思います。
それから何日かたちました。ゆたかさんとおじいさんいやっとうれしい知らせが入りました。一度村にもどれることになったのです。村に向かった時不安がつのります。わたしも、はらはらしました。犬小屋へ行くと三びきの子犬たちがじゃれあっていました。でも、マリのすがたが見えません。ゆたかさんは、何度もマリの名前をよびました。すると、
「ワンッ」
と声がしました。そこには、見まちがうほどやせてしまい顔つきが変わってしまったマリがいました。16日間、生まれたばかりの子どもを守りぬき生きていました。わたしは、マリが生きていてくれて本当にうれしかったです。そして、どんな時でもあきらめないマリがすごいと思いました。けんめいに生きたマリのがんばりはたくさんの人にゆう気とき望をあたえたと思います。


行田市立泉小学校4年 志村彩夏

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      教育ルネッサンス賞


わたしもタネット・リーダーを目指して


 わたしは、動物が大好きだ。動物たちは、みな目がピカピカ光って、とてもやさしい目をしているからだ。この本にも動物のことがたくさん書いてあると思って、わくわくしながら読んでみた。読んでみたけど。ちょっとちがっていた。お話は、難病にかかったピトゥスのために、仲良しのタネットたちが動物園をつくるというのだ。
 このタネットは、わたしと同じ十才なのだ。友達を救おうという気持ちはわかるが、あきらめやすいわたしには、とても考えられないことだ。
 最初に、タネットから学んだことは、協力してくれる友達を集めたことだ。きっとタネットは、ふだんから遊びも運動も勉強も友達といっしょになかよくできる子なんだと思った。それよりもむずかしいことは、みんなと話し合いながら一つのことをまとめていくということだ。タネットのようなリーダーになるために、わたしも今日から話し合いの勉強をしっかりしていくよ。
 次に学んだことは、一人一人のとくいなところをいかして役を決めたことだ。なんでも作ってしまう会場班長のフレミング、せんでんポスター作りや文字を書くことが好きな、ジュリ事む局長などだ。『ピトゥスの動物園』のポスターは、とってもかわいくできていたよ。わたしもなんでも聞いてくれる友達をもつために、信頼される人になるよ。
 それから学んだことは、タネットはとっても人をはげますことが上手だということだ。うまくいかなくてこまっているジュリを見つけて、
「ジュリ、そう落ちこむなよ。気にするなって、そこまでがんばることないよ……。」
と言って、ジュリのやる気をだしてしまった。わたしも、タネットにまけないように友達に声かけができるようにゆう気をだしてみるよ。

 もっと学んだところは大人にまじってなんでもおじけることなくやってしまうところだ。町会の人達や神父さんや動物の先生や動物園長さんなど、みんな仲間にしてしまうんだからゆかいだ。この人達と公民館のハイキングした時の動物ほかくさくせんは、どんな動物たちがとれるのかドキドキした。
 手作りのピトゥスの動物園は、いろいろな人達のなみだとあせとちえと苦ろうのけっしょうだった。すてきな動物園になった。
 タネットがんばったね。はくしゅを送るよ。人間一人ではなにもできないけど、みんなで力とちえを出しあえばなんでもできてしまうんだね。
 わたしも、今日からリーダーを目指してがんばるからおうえんしてね。ないたりやめそうになったら、「こらっ」としかってね。

さいたま市立植水小学校4年 成石ちひろ
 

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第5回メッセージコンクール(2007年の作品)

★小学校低学年の読書メッセージ!★

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      審査委員長賞


きゅうじょ犬ベアを読んで


 ぼくは、きゅうじょ犬ベアという本を読んで、犬とのかんけいや人と人とのきょう力するすがたを学んだ気がした。
 ぼくが、この本を読んだのは、お母さんが、「この本、いい本だよ。」と言っていたから、この本が気になって、読むことにした。この本は、9、11同時たはつテロで、せかいぼうえきセンタービルがこわされ、そのばしょで、きゅうじょ犬とたくさんの人びとがたすけあい、のぞみをかける話だとぼくは思う。
 きゅうじょ犬と言っても、ただのきゅうじょ犬ではなく、犬に人のこころをもっているようなすばらしい、しょうじょうをあげたいくらいがんばった犬の話です。むずかしいところもあったけど、お母さんにききながら話のないようが分かって、この本にむ中になっているぼくがいた。
 9、11のじけんのときぼくは、まだようち園にも行っていない、まだ二さいの赤ちゃんだった。けれど、ぼうえきセンタービルがくずれていくのをテレビで見たおぼえがある。
 なぜビルがくずれたのか、なぜ大さわぎしているのか、その時のぼくには分からなかった。今8さいのぼくは、すこしだけかもしれないけど、9、11じけんについてりかいできるようになった。
 きゅうじょ犬と、かいぬしのしんらいかんけいは、とてもすごいもので、人をつぎつぎと見つけだすが、かなしいけっかになる。
 でも、ベアもかいぬしも、生きてたすけをもとめている人がいあるかもしれないと、きゅうじょのこころをもって、あきらめず前にすすんで行く。そして、しらない人との出会い、きょう力、あぶないところにも立ちむかって行く。そのがんばりが、人でいられることがぼくに力をくれた。
 この本を読んで、ぼくがしらべたところ、9、11じけんによっていのちがなくなった人が、2749人、ビルの中の人たちをたすけに行った人たち369人も、その中にいます。ビルにたすけに行った人も入れて、ビルのこわされた中からたすけられた人は、たったの20人。これをしったぼくは、こんなことってあるのかと、くやしさでいっぱいになり、こころがいたくなった。
 でもそのあと、たくさんの人が、かなしみやつらいことにもまけず、このじけんをわすれてはいけないと、立ち上がっていったすがたにも、こころがいたくなった。この本と読んで犬でも人でもこまっているときは、手をさしのべることができるかんけいは、すばらしいこと、犬をペットとしてかうだけでなく、人といっしょにたすけあい、生かつしていく生きものだと思った。ぼくは、きゅうじょ犬の見かたをかえ、いのちの大切さを知っているのは、人よりも犬かもしれないと思いました。ぼくは、手をさしのべるゆう気をつよくもっていきたいと思います。


越谷市立鷺後小学校2年 田島唯人
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    川越市教育長賞


「みんなきえちゃえ」をよんで


この本の中の男の子は、きらいなものがたくさんありました。まほうのはこをひろい、
「みんなきえちゃえ。」
と、さけんだらみんなほんとにきえてしまいました。すきなことをやりたいだけやれます。
 この男の子は、すごいと思いました。それは、一人ぼっちでもさみしくないからすごいと思いました。ぼくは、きらいなものは、きえちゃえと思ったことは、ありません。うるさい音も、いつもおこっているおかあさんもけんかをしてなかされる、おにいさんも、おかしのとりあいをする、いもうとも、たまに
「きらい。」
 と言うけど、ほんとうにきえちゃったら、とってもさみしいです。
 でも男の子も、さいごはさみしかったようです。毎日つまらなくなっちゃうからです。まほうのはこにむかって、なきながら、
「ごめんね。」
と言いました。きえちゃった人がみんなもどってきたから、うれしそうでした。
 やっぱりぼくの思ったとおりでした。一人ぼっちは、さみしいです。いろいろやなことがあっても、だれもいなくなっちゃうのは、さみしいです。うるさい、きらいと思ってもやっぱりそばにみんないないとさみしいです。
 この本をよんで、まわりの人たちのだいじさがわかりました。おかあさんにおこられないようにしようと思いました。


行田市立泉小学校2年 新井竜成
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●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・
 


   埼玉県教育公務員弘済会賞 


ありがとうをいいたくて


 このお話は、うさぎくんがぶたのおばさんの言ってくれたことばを言うお話です。それは、
「ありがとう、おかげさまで」
 ということばです。このことばをうさぎくんは、友だちがしんせつにしてくれたら、わすれずに、ありがとう、おかげさまでと言ってみたくなりました。
 ウサギくんはねずみくんとけんかをしたり、先生におこられたりして、そのことばがなかなか言えません。うさぎくんは、トイレに行きたいのに、言えなかったねずみくんのかわりに、トイレに行きたいことを先生に言ってあげました。わたしは、ねずみくんのかわりに言ってあげたうさぎくんは、えらいなあと思いました。トイレからかえってきたねずみくんから、
「ありがとう、おかげでたすかった。」
と言われて、うさぎくんは、ますますうれしくなって、ますますじぶんもそのことばを言いたくなりました。
 雨の日に、うさぎくんは、いつか会ったぶたのおばさんにかさをかしてあげようとして、かってに教室をとび出しました。そして先生におこられてしまいました。でもかさをかしてあげたことは、ほめられました。先生からかりたタオルで体をふいて、タオルをかえすときに、やっと、うさぎくんは
「ありがとう、おかげさまで。」
 と言えました。そのときうさぎくんは、
「あっ、やっと言えた。」
 と思ったと思います。うさぎくんがぴょんぴょんはねてかえる気もちは、わたしがなにかがはじめてできたときの気もちと同じだなあと思いました。


草加市立稲荷小学校2年 光武妃音

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     教育ルネッサンス賞


「ひみつ」を読んで


「ひみつ」のお話は、しんおばあちゃんのたん生日に、まごのゆうきがしんおばあちゃんのひみつのねがいをかなえてあげるお話です。

 ゆうきは、しんおばあちゃんに手紙を書きました。「80さいのたん生日にほしいものを教えてね。」と、書きました。しんおばあちゃんは、ほしいものは、ゆうきのえがおと書いたけれど、本とうは、ほしいものがひとつだけあるのと、ひみつのねがいを書きました。それは「天国にいるおじいちゃんに会ってダンスがしたい。」でした。ゆうきは、しんおばあちゃんのねがいを、どうじてもかなえたくなりました。友だちにそうだんをしたら、「まほうつかいになれば。」と言われ、ゆうきは、げきで、まほうつかいになったときにしんおばあちゃんが作ってくれたぼうしをかぶりました。そうしたら、なんと、ねことしゃべれたのです。ぼうしのおかげでした。森へ行き、ことりと、そして、ふくろうじいさんとしゃべれて、ねがいがかなうほうほうを教えてもらい、じんおばあちゃんのねがいがかなったのでした。

 わたしは、ゆうきがしんおばあちゃんのねがいをどうしてもかなえてあげたいとつよっく思って、一生けんめいなところが、やさしくていいなと思いました。しんおばあちゃんは、40年も会っていなかったおじいちゃんに会うことができて、すごくうれしかったと思います。わたしも、しんおばあちゃんが、おじいちゃんに会えて本とうによかったと思いました。人のために、一生けんめいなにかしてあげて、その人が、すごくよろこんでくれたら、わたしもうれしいです。わたしは、ゆうきがしんおばあちゃんのたん生日のたなばたの夜、ほしまつりをしてねがいをするところが気に入りました。わたしもたなばたがたん生日です。わたしも、たん生日に森に行って、ほしまつりをしたいと思いました。じぶんだけのねがいじゃなくって、かぞくのしあわせをおねがいしたいです。ゆうきみたいに、ねがいがかなうといいなと思います。


熊谷市立成田小学校2年 高間礼那

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    教育ルネッサンス賞


さいごのまほうを読んで


 ゆきがうっすらつもったふかい森のおくにまじょのおばあさんが一人ぼっちですんでいました。

 年をとるとまじょは、まほうがつかえなくなるので、もうすぐじぶんのまほうの力がきえてしまうことに気がつきます。

 わたしは、だい名の「さいごのまほう」は、どうしてさいごなのかなとふしぎだったのでここを読んでわかりました。

 まじょは、いまのうちにかわいいとかすてきと言われるようないいものにへんしんしなければと思います。

 わたしもじぶんだったら何になろうかなとかんがえて、ワクワクしました。

 まじょは一生けんめいかんがえてやさしくて、かわいいスミレの花になりました。

 でも、まじょの花は、ちょっとしおれています。ゆきの中でじっとしていると、きつねやうさぎに、ふんずけられそうになるので、やっぱりやめました。

 つぎにきれいな鳥になることにします。でも、まじょは、まっ黒のからすになってしまいました。

 わたしも、まほうがつかえたら鳥になって空をとんでみたいなと思いました。

 まじょの鳥は、気もちよくとんでいましたがタカにおいかけられます。

 わたしは、早くにげてとハラハラしました。

 まじょの鳥は、おちそうになりながらもひっしに木にとびついてにげました。

 鳥から元にもどったまじょは、つぎに何になろうかとかんがえながらあるいていました。そしてゆうくんという男の子と出会いました。ゆうくんとまじょは、くすの木の下で休みながら、
「ここにベンチがあったらいいのにね。」
と言いました。くすの木の下で休む人たちがみんな
「ここにベンチがあったらいいのにな。」
と言うので、まじょはベンチになりました。でも、これがさいごのまほうだったのです。

 わたしは、ベンチがさいごのまほうでいいのかなとドキドキしました。

 ゆうくんやまじょのベンチにすわる人は、
「このベンチ好きだな。」
と気にいってくれるので、まじょはよろこびました。

 わたしも、まじょのベンチにすわってみたいなと思いました。

 ずっと一人ぼっちだったまじょは、ベンチになってみんなにかこまれ、しあわせになれたと思います。

 さいごのまほうは、とてもいいものになれたとほっとしました。


熊谷市立成田小学校2年 中村茉央

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